アフリカうまか日記

アフリカで食べまくります!2017年2月12日に出国予定です!

【真面目な話】修論執筆中!

こんにちは。今泉です。

 

今回は少し勉強の話をしたいと思います。

私は、2010年4月に大阪大学スワヒリ語専攻に入学し、5年間学んだ後、

同大大学院文学研究科に移りました。

今は修士の2年目で、1月6日締め切りの修論作成の真っ只中です。

 

修論のタイトルは、

アジア主義者がみた「黒人問題」

満川亀太郎と黒竜会の動きを通して―

 

アジア主義者とは、戦前において欧米列強に対してアジアの連帯を唱えた人たちです。

アジア主義思想は、欧米に対してアジアが劣っていないという考えに下支えされていました。アジア主義者の多くは、アジアの歴史や文化を学び自分たちが欧米に劣っていないことを確認しました。

しかし、そこには落とし穴もありました。福沢諭吉の「脱亜論」にあるように、「アジアは劣っていない」、「アジアの連帯が必要だ」と主張しながらも、「日本は他のアジアと違う」、「日本はアジアのなかでより優れているんだ」という考えも産んだのです。

こうした考えに基いて、いわゆる皇国史観や、日本人の人種的優越を唱える人びとが出てきます。そして、あの戦争に突き進むことになったのです。

彼らの中にはいわゆる「右翼」と呼ばれる人びとも多く、その最たる例が「黒竜会」という組織です。アジアにほど近い福岡で生まれたこの団体は、戦前の日本アフリカ関係に深く関わっていました。

 

さて、難しい話はさておき、語弊を恐れずに、とっても単純化して説明すると、

私の研究は「戦前の右翼がアフリカや黒人をどうみていたのか?」という問いに答えるものです。

語弊を恐れずに出来る限りわかりやすく、短く答えると、「敵の敵は味方だった。だが、結びつくにはあまりに脆弱だった」ということを考えています。

意味がわからないと思うので説明します。

・白人にとっての敵=日本人(アジア人)

・白人にとっての敵=黒人

つまり、日本人からみれば黒人は白人の敵(敵の敵)であり、黒人からみた日本人も同様でした。だから、互いに一定度のシンパシーは感じていたし、多少の連帯は模索したようです。

しかし、結局協力関係が成り立たちませんでした。理由は複合的かつ複雑だと思いますが、いくつか挙げるとすれば、アジア主義者の中に日本人優生の思想があったこと(「連帯」といっても対等な連帯は想定していなかった)、資金的物理的に困難だったこと、そもそも一部のアジア主義者しか黒人について考えていなかったことなどです。

 

また難しくなってきました。

こうした考えを持ったアジア主義者のなかで、私が論文で取り上げているのは満川亀太郎という人物です。

ちなみに、満川の著作であり、私の分析対象でもある『黒人問題』は、国立国会図書館近代デジタルコレクションから閲覧可能です。

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国立国会図書館デジタルコレクション - 黒人問題

 

 

満川はいち早く、アジア人が置かれた状況から黒人が置かれた状況を考えるようになりました。その思いの集大成がこの『黒人問題』という本でした。

満川亀太郎という人物は、これまであまり知られてきませんでしたが、北一輝大川周明らとともに活動した人物です。

北や大川らの名前を聞くと、よほど「危険な人物」ではないかという印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、そうとも言い切れません。

アジア主義者のなかには、「日本人優生(Japan as number one)」の考えを抜け出せない人がほとんどでしたし、満川、北、大川もそこを抜け出せたかというと、疑問が残ります。

しかし、それと同時にアジアやアフリカの社会、文化、歴史と真剣に向き合おうとしたのも彼らでした。その結晶が満川の『黒人問題』であったり、大川周明イスラーム研究だったのです。

 

とはいえ、私は彼らを賛美したいわけではないし、時代に囚われた彼らの偏見を喝破したいわけでもありません。

幸か不幸か、近年の右よりの政権のおかげで(!?)、先の大戦に対する疑問が投げかけれれています。戦争の反省は「もうええやろ」という雰囲気も感じます。

私は、こうした風潮は「戦前の右派勢力についての研究」を疎かにしてきたツケが回ってきているのだと感じることがあります。もしくは、研究はなされていても、戦前の右派勢力の存在に日本人が向き合ってこなかったからかもしれません。

その結果、「あの戦争、何が悪かったんや?」という問いに、正面切って答えることができない状態になっています。これまでは戦争経験者が沢山いましたが、70年が経った今、彼らの実体験に基づく声は届かなくなってきています。だから、学ばなければならないと思います。自分にとって都合が良くても悪くても、事実を知らなければ、あの時代の不気味な雰囲気を感じることはできません。

 

反省するには、何を反省すべきか知らなければなりません。訳も分からずに反省するのは、むしろ失礼千万です。

歴史研究者のはしくれとして、今後の歴史的検証に耐えうる記述が1文でもできれば、修論を書く意味があるのではないかと思います。

 

まだまだ、完成には程遠いですが。頑張ります。