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アフリカうまか日記

アフリカで食べまくります!2017年2月12日に出国予定です!

ジャンキー・エチオピア

こんにちは。今泉です。今日もウガンダの首都カンパラにいます。これから夕方に出るバスに乗って、4番目の国ケニアへ向かいます。その前に、エチオピアの旅の続きを報告したいと思います。

* 今回は写真が重たくてあげられていません。後日アップロードします。

 

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 ナショナリズムグローバリズム、そしてコロニアリズム。アフリカでご飯を食べていると、これらをつぶさに感じます。政府が推奨しているもの、いわゆる「国民食」と呼ばれるものであればナショナリズムを感じます。地球規模に広がるチェーン店やアメリカ化、最近であれば中国化されたものをみればグローバリズムを感じ、旧宗主国の影響を残したものにはコロニアリズムを感じるのです。今回はエチオピアで食べて感じたグローバリズムコロニアリズムについて書きたいと思います。

 

vol.3 ハンバーガ

 アディスアベバだけでなく、エチオピアの多くの都市にはバーガーショップがあります。いつごろから、どういう経緯で増えたのかはわかりませんが、アディスアベバの若者の中ではポピュラーな食べ物になっているようです。アディスアベバの町を歩けばあちこちでバーガーショップに出くわすのですが、専門店以外でもカフェであればほとんどの店で数種類のバーガーが提供されているようです。

 バーガーのつくりはシンプルで、バンズに肉(パテ)、レタス、トマト、チーズ、タマネギなどが入ったものです。肉は、ひき肉もあればチキンもあります。基本的にチップス(フライドポテト)が添えられてきます。

 このバーガー、なかなか一人で食べられるものではありません。どこにいってもとにかく巨大なんです。なんといっても存在感があるのは、人の握りこぶしほどあるバンズです。そして、端はカリカリで中はジューシーな食感を楽しめるパテも満腹中枢を刺激します。さらにチップスがあるので、半分食べればもうお腹いっぱいです。

 なぜでしょうか。アディスアベバの一人前を頼むと、二人前の量が出されることがよくあります。もちろんバーガーも例外ではありません。店先を見れば、二人でひとつのバーガーをシェアしている人が何組もいました。基本的にシェアされることを想定した分量なのでしょうか。いずれにせよ、一人旅としてはちょっときついものがあります。

 ハンバーガーといえば、グローバリズムの象徴でしょう。アメリカ発の世界中で消費される食べ物の代表ですよね。グローバリズムの特徴として、共通性があります。日本でもエチオピアでもアメリカでも、同じような共通する食べ物、味を感じることができるのです。ふだん日本で食している味を感じるのですから、グローバル化された味には慣れ親しんだ安心感を感じるのも事実です。

 ここで面白いのが、エチオピアのバーガー文化はどうやら単なるグローバリズムの賜物ではないということです。なぜか。エチオピアのバーガーショップは、アメリカのバーガーショップのチェーンではないからです。少なくとも私が歩いてみた限りは、アメリカ発祥のバーガーチェーンはみられませんでした。

 だとしたら、これはどういうことでしょう。私はローカル化の力が強く働いているように感じました。世界規模のチェーン店(マクドナルドやバーガーキングなど)が入れないのが政府の規制によるものなのか、そもそも企業戦略において参入を控えているのかはわかりません。ただ、マクドナルドがないために、地元の人が自分たちの力で自分たちのバーガーを作っていかなければなりません。このなかでできたのが、巨大なバンズとカリカリのパテが特徴のエチオピアバーガーなのだと思います。

 そんなことを考えながら、せっせとジュースでバーガーを体内に流し込みます。バーガーをかじりジュースで流し込み、チップスをかじりジュースで流し込み。たれてくるソースで手を汚しながら、豪快に食べるのが流儀でしょう。わしづかみにして頬張ったバーガーからは、グローバル化とローカル化がせめぎあう味がしました。

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vol.4 ピザとパスタ

 ピザとパスタ。これもグローバル化した食べ物かもしれません。でも、エチオピアの場合は少々事情が異なるように思います。なぜなら、エチオピアはピザとパスタの故郷であるイタリアとの歴史的つながりがあるからです。

 高校世界史を学んだ方であれば、エチオピアは19世紀末の「アフリカ分割」のときも独立を保った数少ないアフリカの国家ということは有名だと思います。エチオピアは、アドワの戦いでイタリアを破り植民地化を免れたのです。この時代において、有色人種が白人種に勝った数少ない戦いです。

 少し後に、アジアの片隅である日本も日露戦争を戦いました。こちらも有色人種と白人種の争いという意味では同じ構図でした。「アジアの盟主」と「アフリカの盟主」を自認した両国は、1920年代後半から1930年代前半にかけて急速に接近していきます。

 具体的には、エチオピア外交使節団が来日したり、エチオピア皇族に日本の華族が嫁ぐ話が出たり、裏ではエチオピアへの軍事的支援が模索されたりしました。こういった話については、山田一廣 (1998)『マスカルの花嫁:幻のエチオピア王子妃』や藤田みどり (2005)『アフリカ「発見」:日本におけるアフリカ像の変遷』に詳しく書いてあります。

 さて、一時は盛り上がりを見せた日本エチオピア交流でしたが、1935年の2度めのイタリアによるエチオピア侵略を境に急速に衰えてしまいます。その一つの原因が、この電報から見て取れると思います。

 

満洲問題ニテ連盟と争ヒタル日本トシテハ之ト「エチオピア」問題トノ内情ノ相違ハアリトスルモ我ヨリ伊ノ行動ヲ非議スルハ当ヲ得サルモノノ如ク弱者ニ対スル感情ノ問題ハ別トシ余リ深刻ニ伊ヲ非議セハ我自ラ日支事件中ノ行動ヲ否認スルノ珍現象ヲ招致スヘキノミナラス後日支那ニ乗セラルル素因ヲ作ルコトトナルヘシ(佐藤発広田宛電報 第250号ノ2 1935.7.24発7.25着)。

 

 発信者は駐フランス特命全権委任大使の佐藤尚武で、受信者は当時の外務大臣でありA級戦犯広田弘毅です。佐藤は満州事変の際にベルギー大使として国連総会に参加し、国際社会から猛烈な批判を受けた人物でもあります。

 電報では、イタリアによるエチオピア侵略(エチオピア問題)に異議を唱えるのであれば、日本による「満州問題」が説明がつかなくなると述べられています。こうして満州を優先して、エチオピアを見捨てていったのです。

 話がたいぶ横道に逸れました。こうして残念ながら、エチオピアはイタリアに侵略されてしまうのです。とはいえ、イタリアの影響は侵略以前からあったように思います。なぜなら、1935年以前からイタリアはエチオピアに対して友好的であるように振る舞っていたからです。

 例えば、エチオピア国連に加盟するときにはイタリアが外交的に支えてくれたり、1924年に後に皇帝となるラス・タファリがローマを訪れた際にも歓待されているからです。さらにいえば、1928年にはエチオピアとイタリア間で友好協定まで結ばれています。こうした態度の裏で、イタリアのファシストたちは虎視眈々とエチオピアの領土を狙っていたのでしょう。

 さて、こうした一筋縄ではないエチオピアとイタリアの関係を考えながら、ピザとパスタに舌鼓を打つことにしましょう。モッツァレラチーズがたっぷりのったマルゲリータとツナのパスタ。これほどコテコテのイタ飯をイタリア料理の店以外で食べることもなかなかないでしょう。

 まずはピザを、次にパスタを頬張ります。ナポリの風(行ったことないけど)を鼻孔に感じつつ、トマトとチーズの調和を感じます。すると、次の瞬間刺すような辛味を舌先に感じました。大量に刻まれた青トウガラシです。魅惑の味の裏には、辛味が隠れていました。してやられた・・・。この辛味は、ひた隠しにされたファシストの野望なのか、エチオピアによる小さな反撃なのか、ゆっくりと味わいながら考えることにしましょうか。

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