【食う本】読んで知るアフリカの味
こんにちは。今泉です。
昨日は無事目標金額を達成し、一安心したところです。
しかしながら、ここからが私にとっての本番でもあります。
みなさまから頂いたお力を、還元できるように頑張ります。
なお、まだまだご支援募集中です。どうぞ、よろしくお願いします!
**************************************
さて、今日は「読んで知るアフリカの味」というタイトルにしました。
アフリカの食に関する研究書はまた別の機会のご紹介することにして、ここでは珠玉のエッセイをいくつか紹介したいと思います。
まず、1冊目は『アフリカを食べる/アフリカで寝る』です。
著者は朝日新聞の特派員としてアフリカ中を駆け回った松本仁一さん。
地べたを歩き、自分の手で食べながら、他者の懐に入り込んでいく姿が印象的です。
私がこの本と出会ったのは、高校生のときです。
長崎駅の本屋でこの本を見つけたときの衝撃は今でも覚えています。
まず、表紙の写真が読者の目を捉えて離しません。
興味を持って頁をめくると、表紙のようなステレオタイプのアフリカだけではない、アフリカで暮らす人びとの営みが「寝食」というテーマに基いて描かれています。
貧しさだけではない、豊かなアフリカの姿を初めて知ることになった1冊です。
次に紹介するのは、中村安希さんの『インパラの朝』と『食べる。』です。
バックパッカーでありライターである、著者がアフリカで食べて感じたことが生き生きと描かれています。
ちなみに、中村さんは『インパラの朝』で開高健ノンフィクション賞を受賞しています。
『インパラの朝』は、私がアフリカ1周に行くときに持っていった本です。
この本は、自分の思いを吐露しつつ、体験や風景を描く、まさに「エッセイのお手本」のような作品でもあります。
私自身、旅の途中で文章を書くときには、何度も参考にしたり、意識していなくても影響を受けることがありました。それほど、すっと心に入ってきて、共感させる力のあるエッセイです。
著者は、しっかり者のバックパッカーで、能天気な冒険家タイプの旅行者とは異なります。安全対策にも十分に気をつけている、ある意味ではバックパッカーのお手本のような人です。
それにもかかわらず、「面白い」と思ったことには、素直に自分の好奇心に従い、深入りしていくところが、この本の面白さです。
『食べる。』は、私がアフリカ1周から帰国した後に購入した本です。
こちらでは、私が愛してやまないエチオピア料理インジェラも紹介されています。
その部分だけでも読んで欲しいというのが正直なコメントです笑。
読んでいると食べたくなる、お腹が空いてくる。
純粋に、そんな気持ちにさせるようなエッセイです。
【満額御礼】目標金額達成しました!!
こんにちは。今泉です。
今日はとっても良い報告があります。
「アフリカうまか旅 」プロジェクト、目標金額を達成しました!!!
本当に応援してくださった皆様に、感謝するばかりです。
皆様のご期待に添えるように、出発までしっかり準備して参りますので、今後ともよろしくお願いします。
なお、まだまだご支援の募集をしています。なぜなら、目標金額に達しても赤字だからです。航空券、リーターン代を差し引くと、もう少し資金が必要です。募集締切は1月17日の午後11時です。もし、ご協力してくださる方がいらっしゃいましたら、もう少しだけお力添えいただけると嬉しいです。
ご支援はこちらから↓
【うまか話4】おふくろの味、マトケ
とうとう残り1週間を切り、6日間になりました。
目標達成まで、本当にあともう一歩です。
なんとか、今日中に達成したい!!
ご支援お願いいたします!!
さて、今回は4回目の【うまか話】です。
京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科の善積実希さんに書いてもらいました。
ケニア北部のサンブルで調査をしている先輩です。
それでは、どうぞ!!
********************************
ある日、マラリアにかかって寝込んでいる友人のお見舞いに出かけました。びっくりするほどの高熱。ここ2日ほど、ほとんど何も食べていない彼はぐったりしていました。
「ホディ。(ごめんください)。」
突然、明るい声と共に女性が訪ねてきました。彼のお母さんです。彼を心配して集まった私たちにあいさつを交わし、おもむろにビニール袋から大きなタッパを取り出しました。タッパの蓋を開けると…なんともいえない良い香りが!その正体はマトケです。
マトケとは料理用バナナ(以下、バナナ)を指します。
ケニアでマトケを食べたーいとお店で注文すると、バナナとじゃがいもで調理されたものがでてきます。何も口にすることができない彼のことを心配したお母さんは、手作りのマトケをタッパに入れてもってきたのでした。
さすがお母さん。食欲がなかった彼もすっかりマトケを平らげてしまいました。そんな彼をみていると、私もすっかり食べたくなってきました。
お母さんはそんな私をみて「カリブ!(どうぞ!)」とお皿にドーンとマトケを盛り付けてくれました。
やったー!「アサンテ サーナ!(どうもありがとう!)」と言い終わる前に、私はマトケをほおばっていました。
これが、私のマトケとの出会いです。
マトケといっても、家庭によって味や体裁はさまざま。
バナナとジャガイモをつぶしていたり、つぶしていなかったり…。
お店によってもオリジナルなマトケがあるので、私がマトケを食べたいときはいつも決まってお気に入りのお店へ足を運びます。
でも、やっぱり初めて食べたマトケの味が忘れられない!
そこで、彼のお母さんからマトケのレシピを伝授してもらうことになりました。
***************************************
<おふくろの味、マトケの作り方>
材料(3人前):バナナ8本、じゃがいも2キロ、玉ねぎ・トマト・塩適量
- 細かく切った玉ねぎ(適量)を、色が茶色くなるまでしっかり炒める。
- そこにトマト(適量)を入れる。
- 塩(適量)を入れて混ぜる。
- 皮をむいたバナナとじゃがいもを入れて混ぜ、塩加減を確認する。
【皮をむいたバナナ(白くて細長い)とじゃがいも】 - バナナとじゃがいもが浸るくらいに水を入れて、ぐつぐつ煮る。バナナとじゃがいもに火が通ったのを確認する。
これで、できあがり!
と言いたいところですが、お母さんのマトケはここで終わりません! - 出来上がったマトケからスープをすべて取り出します。そして、鍋を火にかけて完全に水分を飛ばします。
- マトケをすりこぎ棒などでトントンとつぶしていきます。マッシュポテトのようにつぶれたら完成!
【マトケを手際よくつぶしていくお母さん】
【黄色いマッシュポテトのようなものがお母さん特製マトケです】
お母さんのマトケをいただくときは、スプーンですくった「マトケ」をスープにつけます。これが本当に…
「ターーーーム!(おいしーい!)」
野菜やお肉をおかずに食べてもおいしいマトケ。一度、ご賞味あれ!
【残り1週間!!】もうひと押しお願いします!!
こんにちは。今泉です。
いよいよ、残り1週間になりました。
50日間の募集期間も、あっという間に過ぎていきました。
まだまだご支援お願いします!!
【重要事項確認】
目標金額を達成できなければ、プロジェクトは成立しません!!
そのため、あと1週間で必ず目標金額の50万円を上回らなければなりません。
目標まで、あと少しです。みなさまのお力を、もう少しだけ分けていただけないでしょうか。
さて、今日は旅程について説明したいと思います。
先週くらいから、大学の旅行カウンターで航空券について相談をしているところです。
おおむね、2月12日出発、3月18日帰国の方向になりそうです。
その間の、旅程を簡単に組んでみたので、ご紹介したいと思います。
それが、こちら↓
わりと弾丸だといわざるをえませんが、せっかくなので行けるところは行きつくしたい!
当初は、ジンバブエとナミビアへの旅も考えていましたが、今のところ代わりにモザンビーク南部とスワジランドに行こうかと考えています。
まだまだ、旅程は検討中ですので、最終版は乞うご期待!
それでは、また明日、更新します!!
【出演情報】今宵はFMにtuning in!
【真面目な話】修論執筆中!
こんにちは。今泉です。
今回は少し勉強の話をしたいと思います。
私は、2010年4月に大阪大学スワヒリ語専攻に入学し、5年間学んだ後、
同大大学院文学研究科に移りました。
今は修士の2年目で、1月6日締め切りの修論作成の真っ只中です。
修論のタイトルは、
アジア主義者がみた「黒人問題」
―満川亀太郎と黒竜会の動きを通して―
アジア主義者とは、戦前において欧米列強に対してアジアの連帯を唱えた人たちです。
アジア主義思想は、欧米に対してアジアが劣っていないという考えに下支えされていました。アジア主義者の多くは、アジアの歴史や文化を学び自分たちが欧米に劣っていないことを確認しました。
しかし、そこには落とし穴もありました。福沢諭吉の「脱亜論」にあるように、「アジアは劣っていない」、「アジアの連帯が必要だ」と主張しながらも、「日本は他のアジアと違う」、「日本はアジアのなかでより優れているんだ」という考えも産んだのです。
こうした考えに基いて、いわゆる皇国史観や、日本人の人種的優越を唱える人びとが出てきます。そして、あの戦争に突き進むことになったのです。
彼らの中にはいわゆる「右翼」と呼ばれる人びとも多く、その最たる例が「黒竜会」という組織です。アジアにほど近い福岡で生まれたこの団体は、戦前の日本アフリカ関係に深く関わっていました。
さて、難しい話はさておき、語弊を恐れずに、とっても単純化して説明すると、
私の研究は「戦前の右翼がアフリカや黒人をどうみていたのか?」という問いに答えるものです。
語弊を恐れずに出来る限りわかりやすく、短く答えると、「敵の敵は味方だった。だが、結びつくにはあまりに脆弱だった」ということを考えています。
意味がわからないと思うので説明します。
・白人にとっての敵=日本人(アジア人)
・白人にとっての敵=黒人
つまり、日本人からみれば黒人は白人の敵(敵の敵)であり、黒人からみた日本人も同様でした。だから、互いに一定度のシンパシーは感じていたし、多少の連帯は模索したようです。
しかし、結局協力関係が成り立たちませんでした。理由は複合的かつ複雑だと思いますが、いくつか挙げるとすれば、アジア主義者の中に日本人優生の思想があったこと(「連帯」といっても対等な連帯は想定していなかった)、資金的物理的に困難だったこと、そもそも一部のアジア主義者しか黒人について考えていなかったことなどです。
また難しくなってきました。
こうした考えを持ったアジア主義者のなかで、私が論文で取り上げているのは満川亀太郎という人物です。
ちなみに、満川の著作であり、私の分析対象でもある『黒人問題』は、国立国会図書館近代デジタルコレクションから閲覧可能です。
満川はいち早く、アジア人が置かれた状況から黒人が置かれた状況を考えるようになりました。その思いの集大成がこの『黒人問題』という本でした。
満川亀太郎という人物は、これまであまり知られてきませんでしたが、北一輝、大川周明らとともに活動した人物です。
北や大川らの名前を聞くと、よほど「危険な人物」ではないかという印象を受ける方もいらっしゃるかもしれませんが、そうとも言い切れません。
アジア主義者のなかには、「日本人優生(Japan as number one)」の考えを抜け出せない人がほとんどでしたし、満川、北、大川もそこを抜け出せたかというと、疑問が残ります。
しかし、それと同時にアジアやアフリカの社会、文化、歴史と真剣に向き合おうとしたのも彼らでした。その結晶が満川の『黒人問題』であったり、大川周明のイスラーム研究だったのです。
とはいえ、私は彼らを賛美したいわけではないし、時代に囚われた彼らの偏見を喝破したいわけでもありません。
幸か不幸か、近年の右よりの政権のおかげで(!?)、先の大戦に対する疑問が投げかけれれています。戦争の反省は「もうええやろ」という雰囲気も感じます。
私は、こうした風潮は「戦前の右派勢力についての研究」を疎かにしてきたツケが回ってきているのだと感じることがあります。もしくは、研究はなされていても、戦前の右派勢力の存在に日本人が向き合ってこなかったからかもしれません。
その結果、「あの戦争、何が悪かったんや?」という問いに、正面切って答えることができない状態になっています。これまでは戦争経験者が沢山いましたが、70年が経った今、彼らの実体験に基づく声は届かなくなってきています。だから、学ばなければならないと思います。自分にとって都合が良くても悪くても、事実を知らなければ、あの時代の不気味な雰囲気を感じることはできません。
反省するには、何を反省すべきか知らなければなりません。訳も分からずに反省するのは、むしろ失礼千万です。
歴史研究者のはしくれとして、今後の歴史的検証に耐えうる記述が1文でもできれば、修論を書く意味があるのではないかと思います。
まだまだ、完成には程遠いですが。頑張ります。